御由緒について

 御祭神の素佐之男命は疫病を退ける神また、農業神として知られておりますが、神仏習合から渡来神の「牛頭天王」と習合して牛馬の守り神としての信仰がこの地で広まりました。昭和29年頃までは、7月7日の祇園祭には3万人以上の参拝者で賑わいを見せておりました。

 創建は文安三年(1446年)、 萬治元年(1658年)には初代教明和尚により古社再建が行われました。別当寺 天台宗 天王山覚王寺として発興し江戸時代の終わりまで僧侶による加持祈祷、祭祀、神社の管理運営が行われました。

棟札側面を見ると「萬治元年戊戌年前住教明建立今至寛延二己巳年○九十二(?)年再造立古宮南渓七間十五間山切開人歩二千八百余普請人足千五○○」とあり、表面には「皇帝萬歳臣統千秋、神風永扇威光倍増、風雨以時災害不起、五穀成熟萬民○○、寺院安全興隆佛法、檀信帰崇諸縁吉利」等の記載が見られ神仏習合当時の信仰の様子が窺えます。